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写真撮って、日記書いてます。

東北被災地に行く









GXR+A12 28mm F2.5にて撮影。トラックバック企画「2011」参加。

ちょうど先週、所属している学会で東北に行く機会があったので参加してきた。今いる業界(?)ー実は博物館関係の仕事に就いていますーでも、様々なことが起きているこの震災だけど、果たして実際にどうなっているのかを見ておきたかった。

行ったのは東北・岩手県。何気にこれが人生初岩手であり、今のところ過去に行った場所では最北地点だ。1泊2日の日程だった。途中予定されていたコースも変更されて、被害の大きかった三陸高田に行くことができた。そこで手を合わせることができたのは個人的には良かったことだった。

岩手の街は仮設住宅ができ、道路も復旧していた。一部の道路は片側通行であったが、基本的に通れない場所は無かった(今回の日程的に)。ただ津波の被害は本当に酷いーと言葉で書けば簡単だけど、実際はそんな言葉では言い尽くせないー状況であった。一部はまだ焼け焦げた匂いが立ちこめていた。今回訪問したある科学館はその敷地内がこうしたゴミ・瓦礫の置き場所と化していた。館の四方を瓦礫やゴミが取り囲んでいる状態であった。最も、その館自体も相当な被害を受けていて、展示資料や収蔵資料の回収だけでなく設備の回復などに時間がかかるという状況であった。

その館だけで無く、今回訪問させて頂いた博物館・科学館は皆どこも被害を受けていた。職員は助かったけれども、地震だけで無く津波によってこれまで収集・収蔵してきた資料がどこかへ行ってしまったり、館の設備自体が破壊されてしまったりしていた。海沿いの博物館・科学館はほぼ全てダメになっていて、館自体が波に飲み込まれてしまったところもあった。館自体には影響は無かったけれども、館が立っていた場所自体が外部と断絶してしまい数日間孤立してしまったとか、避難してくる人たちにトイレを貸し出したけれども停電のために水が流れないため糞便の処理に困ったとか、実際にそこで働いている方たちから当時の状況を聞くことができた。新聞やテレビでの報道では見聞きしていたけれども、当事者から話を伺うと生々しくて恐ろしかった。加えて、こうした被害を受けていながらも、何とか通常の開館状態へ持ち込もうと努力されている姿に頭が下がる思いでいっぱいだった。皆、熱意の固まりのような方たちであった。俺はそんな風にできるだろうか。

博物館・科学館というと、一般の人にとってはもしかすると単に「遊びに行くところ」という認識なのかもしれない。でもそこは地域に残された歴史や文化や技術に関しての情報が詰まっている場所だ。街が復興してようやく落ち着いたというときに、これまでの文化的な物がすっかりダメになってしまてました、では遅い。だから皆、無くならないように、ダメにならないように今がんばっているのだ。

三陸高田は衝撃的だった。果たしてこれは現実なんだろうかと何度も考えた。まるで夢の中にいるんじゃ無いか、という奇妙な非現実的な感覚が常につきまとっていた。そのくらい複雑だった。被災地の方(というより前出の関係者さんたち)からは写真に撮ってこの現状を発信して欲しいと言われたけれども、果たして本当に載せていいのか今でも考えている。正直なところ、この状況をどう表現すべきか、俺の中に言葉が無いのが現状だ。あれから1週間考えているけれども、まだ言葉が見つからない。


あと、個人的に腹が立ったのは今回のこの訪問の団長というかボスというか、そういうクラスの人。何でも東京で今度被災地に関する展示をするそうで、視察先に行くたびに「今度こうこうこういう企画展をするんだけど、なんか資料無い?」って感じで現地の担当者に聞くのだ。何かもう、一緒にいるのが嫌だった。
まぁおそらく根本的にその人とはあわないんだろうな、俺は。

ともかく、2日間だったけれども様々なことを学ぶことができた。やはり一番大きかったのはこの仕事に対する熱意の部分だろう。人の熱意があれば熱意がある同士で結びついて一歩一歩だけど前進できる。非被災地にいる我々がこれから何ができるかを考えつつ、さらに自分の仕事に、彼らのような熱意を持って取り組んでいきたいと思った。


あんまりうまくまとまってないけど。もしかしたら後日また書くかもしれない。