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写真撮って、日記書いてます。

どこかで受け入れなければならない部分だけれど

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ファミリー層、特に女児がいるような家族層をメインターゲットにした展覧会の、最初の入館者が全く想定とはかけ離れた中年男性ひとりだった時、この意外性というか、そういうのは大事にしたいなあといつも思う。展覧会に対して興味をもってくれたというのが「中の人」としてうれしい。全体からすれば少ない方であるのは間違いないけど。でも、うれしいものはうれしい。

一応展覧会は前年度にどうにか企画をまとめたりしてプランニングしていくのだが、想定するターゲット層と入館者に関するウェイトは非常に大きい部分がある。「入館者数がすべてではない」というのは博物館学系の本を読めばだいたいそういうことが書いてある。

そうなんだけど。

そうなんだけど。

数字がもろに求められる場面の方が多いし、何より数字が出ると分かりやすいから「そういう(数字を稼ぎやすい)もの」を選ぶことが多い。やってることは普通の企画業と変わらない部分も多いのではないかと思う。「普通の」がどの仕事を指すか分からないけど。この仕事、教科書とのギャップが大きいから割としんどい部分も多い。その辺の愚痴はまたどこかで書こう。

開会できたところもあれば中止になったところも多くて、楽しみにしていた「ソール・ライター展」は中止が決定してしまった。大変残念。状況が状況だけに仕方ないと自分を納得させることにする。写真集買おうかなとは思うが、それ以外に売られていたであろうポストカードやマグネット等の商品を現地のショップで購入できないことが非常に残念だ。伊丹市美で開催されていた展覧会ではポストカードを数枚購入した。今も飾っていて時々眺めているが、やはり良いものだ。京都での展覧会でも何か買えるかと期待していただけにちょっと拍子抜けしている。

「開けるな」「開けてくれ」が同居している業界にいると、どうしたらいいか正直よくわからない。消毒液を置いても「このジェル状のタイプはべたべたしすぎる!」とか言われるし、無かったら無かったで怒られる。もういっそのこと閉館したらどうか、休館したらどうかすらとも思うが、それだと楽しみにしている人たちのことを考えると、トゲみたいなのが胸に刺さったような感じでチクチクと変に痛む。わたしが展覧会の楽しみが無くなってしまった時の気持ちを、今度はほかの人にも味あわせてしまうのか、とか。

この仕事をしていく以上、どこかで受け入れなければならない部分ではあるだろうが、それでもわたしにはまだまだ難しい。