iPhone8 Plus
582日目。休日の日。
ようやく休日だけど、今日は今日で外出しなくてはならない。家でゆっくりしたいという願望はなかなか達成されない。
何気なしにスマホを見たら通知が来ていた。「今日は〇〇さんのお誕生日です!メッセージを送ってみましょう!」余計なお世話だ。その人はもうこちらの世界にはいないのだから。
Facebookは友人知人の誕生日を通知してくれるのだが(設定によりけりだけど)、故人となってしまった人物のも通知してくるのでその場合は心にくるものがある。少し上の年齢の方だったけど、何年か前に亡くなったと知った。それ以来アカウントも残されたままだし、当たり前だけど更新も無いんだけど、誕生日の通知だけはくる。機械仕掛けとは分かっているものの複雑な気持ちだ。
その人の、わたし以外の友達にも通知は当然いっているようで、毎年それがあるたびに「お悔やみコメント」会場となっている。積極的にその輪に入ろうとは思わないが、人柄が良かった方なので今でも人がやって来るのかな。なんだか不思議な感じだ。
何より、その方が亡くなってもう5年近く経つことに驚いている。いまだに信じられないし、LINEとかメッセージを送れば返ってきそうな雰囲気すらある。
その間誰もアカウントを消そうとしなかったのか、それともIDとパスが分からなかったのか。後者の方が可能性は高いけど、前者であってほしい自分もいる。
しかしこんな世の中だと故人も故人で安らかに眠れないのではないかとも思う。大勢からおめでとうコメントがあると困惑するのでは、人のことを気にする方だったから余計今のように通知がいってることを気にかけているかもしれない。分からないけど。
Facebookが後何年続くか知らないが、その間ずっと通知が届いくだろうし、そのたびにその人のことを思い出すだろう。では通知もない人は?音信不通、生死不明になっている人はどうすれば思い出せるのか。そもそも音信不通の時点でその人に興味を持ってないってことだから別に思い出さなくてもいいというものなのかもしれない。そんな感じで既に亡くなってる同級生とかいるかもしれない。積極的に調べたいとは思わないが。
翻って自分はどうなんだろう。誰かの音信不通のひとりになってるのは確かだが。少しばかり気になる。