古本の『定本』を読む
最近は一応前期も終わったので、ちょっとずつであるけれども時間がとれるようになってきている。とはいえ、「やらなければならないこと」っていうのはあるんだけれども。
その「やらなければならないこと」を終えた後、先日オークションで購入した『定本』を読むというのが最近の日課となっている。ただ、彼の文章は回りくどいので、その、なんですか、読むペースが非常に遅いことになってしまう訳です。
ふとあることに気付く。ページをめくる度に立ち上ってくるこの古本独特のにおい。かび臭さ。なんかちょっと強いような。でもそれが古本だぜ俺は!的存在感を出しているような気がする。
こういう古本を購入すると、以前の持ち主はどんな人だったんだろう、どんな場所にあったんだろうなんてことを考えてしまう。古本だけではなくて、中古のCD/DVDとかパソコンのパーツとか。前のユーザーはどんな人でどういったところで使われていたんだろうか。
反対にいらなくなったCD/DVDなんかを買い取ってもらったとき、今度はどんなユーザーの手に渡るのかな、なんて考えたりもする。(でもこの前TSUTAYAの中古DVD売り場行ったら、2年か3年くらい前に私が手放したDVDが未だに売れ残っててなんか笑ってしまった。(ノ∀`)アチャーみたいな感じで。)
ってこれ前ユーザーからしてみればいい迷惑かもしれんな(・ω・`)
今読んでいるこの『定本』も、前のユーザーが大事に扱ってくれていたからこそ、今手元にあるわけで。これはちょっと大事にせなあかんなぁ。(ま、本にしろ何にしろ大事にしなきゃいけないんだけど。)もしかすると、「次のユーザー」が将来現れるかもしれないし。そう考えたら、もちょっと物を大事にしようと思うようになった。
えっと、肝心の内容の方はというと、まだ冒頭の最初の章を読み終えたくらい。説話に関する話。難しい。一つはその分野の本をあんまり読んだことがなかったから基礎的な知識が不足しているという点と、もう一つは柳田自身の独特の文章の書き方からくる難解さ。さらにはそのときの時代背景についても頭を巡らせてなければうまく読めないとの先生のアドバイス。ふぃーすることいっぱいだなぁ。本を読むのはつらい作業だと感じる瞬間でもあるが、知識が増えるという単純な喜びの方が今の私には大きいかな。
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