兵庫県立美術館で開催中の森山大道写真展を開会初日に見てきた。
この方の写真を生で見るのは2回目。1回目は東京のオリンパスギャラリーで開催されてた写真展。その時もそうだったんだけど、どういうわけかこの人の写真は生で見るとすごくあっさりした印象を受ける。じっくり見たはずなのに、展示会場を一歩外に出ると、何が、どんな写真が展示されていたのか思い出せそうで思い出せない。なんだろう、以前よりさらにその傾向が強くなったように感じる。
あとは撮影地がわからない。どこで撮られたかわからない。神戸で撮られたものは別コーナーを設けてあったけど、それですら「神戸のどこか」はわからない。長く住んでる人にはわかるんだろうけど、私のようにひょいひょいっと引っ越してきた人間にはわからないし、「「神戸です」と示されている東京の風景」だったとしても気が付かない。
ああそうか、それこそ「都市」なのか。すれ違いざまに現れては消えていく。画一化された形で、どこでも同じようなものができていく。
そういうことなんかな。
一方で写真集となると、すごく印象的に記憶に残りがちなんだけど、写真展なんかで見るよりも時間かけて見ることができるし、なにより量が半端ない。だからどんな写真があるかだいたい覚えている。
何より最初の写真集『にっぽん劇場写真帖』は今でも見返すし、印象に残る写真が多い。持ってるのは90年代に出た復刻廉価版だけど。
これが写真家の言う「記録」ってことなんだろうか。
そういえば初めて雑誌の『記録』を生で見ることができた。見るまでは数ページもしくは十数ページのものだろうとばかり思ってたけど、実際に触ってみたら重かったし厚かった。
戦利品はポストカードと缶バッジ。例の犬。これはもうアイコンだよなあ。あの写真、好きです。
帰り際に撮影。写真展見に来たあとは写真撮って帰りたくなるよなあ。なぜか。
9月4日にはトークショーも開かれるみたいなんだけど、行きたかったけど休みとれず、行かせてもらえず…ワークショップでサインもらいたかったな。残念。
時間作ってもう1回見たい展覧会だ。最近そういうの多いな。