実家のある町は鹿児島市内からさらに1時間ほど行った先にあるところで、錦江湾をフェリーで渡っていくような場所にある。高齢化も進みに進み、そのくせクルマ社会で、買い物に行くまでにも時間がかかる地域だ。人口は最盛期の1/2になったらしい。
生まれる人間よりも死んでいく人間の方が遥かに多い、という。お盆に行った法要でそういう話を住職がしていたように思う。
至る所で初盆が行われていたし、人がどんどん少なくなっているのがわかる。コンビニが善戦しているようだが、いきなり店舗が統廃合されるケースもあるらしい。遠くへ買い物に行けないお年寄りがそのたびに買い物難民と化しているとかいう話だ。
何より荒れた墓が増えた。
もともと実家の墓は実家からクルマで数分行った山の麓にある。10年位前はまだここで初盆としてゴザを広げ、墓参りの挨拶に来る人にジュースやビールを提供するという風習があったのだが、今年はもうそんなのは見られなかった。納骨堂ができたことでわざわざ墓の坂道を登る必要も無くなり、墓はそのまま放置されるようになってしまった。放置というか、墓石を倒して「墓として利用しませんよ」という状態にしておく。解体にもお金がかかるらしいからそのままにするそうだ。トタンでできた墓用の屋根が崩壊しているのをいくつも見た。数十万から数百万かけて建てておきながら、不便になったら骨だけ取り出してあとは放置という、「墓とはいったい何なのか」を問いかける光景を目の前にして答えが見つからなかった。現実的だと言えばそうなのかもしれない。
子どもの時はこのお盆の墓参りがちょっとした探検みたいで楽しかったのを覚えている。
子どもの数も減ってる、というよりほとんどいない。実家周辺は同世代すら見かけない。両親と同じくらいの世代が中心のような。実際私も実家から離れて暮らしてるから何とも言えないけど、住みたくても仕事が無いし、あっても手取りで15万あればいい方。そりゃみんな出て行くよな…
「地方消滅」を地で行くような感じで考えてしまう。まだ両親が元気だからいいけど、怪我や病気になったらそれこそ大変で、ほんとにどうなってしまうのかと不安になる。だいたい私自身正規職ではないので収入も安定していない。そういうのを直視したくないから実家に帰るのを躊躇してしまうんだろうな。
ここ最近はすっと割り切れない感情を抱えたまま実家をあとにすることが増えた。あと何回帰れるだろうか。私には分からない。
(写真は全てiPhone5sで撮影)