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写真撮って、日記書いてます。

「家じまい」の現実味

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1131日目。仕事の日。

実家の父母によると、父方の実家の実家、つまりわたしの祖父母にあたる人たちが住んでいた家を取り壊したという。

これがちょっとややこしいのだが、祖父母の家は同じ敷地内に二つあって、一つはもう廃屋に近い扱いのもの、もう一つがまあまあ近代的な住居というやつだった。取り壊したのは廃屋に近い方で、母親からのLINEには「きれいになりました」メッセージと写真がついていた。

なぜか祖父母の家のあたりは家を二軒建てるのが多いようで、古い方を「前の家」と呼んだりもしていた。古い方の家には五右衛門風呂があり、小さい頃は祖父母の家に泊まりに行くたびにそこを使ったし、何なら火焚き当番としてお風呂を沸かしたこともあった。五右衛門風呂があったからか、新しい方の家にはお風呂がなかった。なので、お盆や正月に帰省してくる従兄弟や我々家族は、男たちは五右衛門風呂が使えるならそちらを使って、女性陣は温泉に行くというのが習慣になっていった。

そういえば七十を過ぎた祖父は死ぬまであの五右衛門風呂を使ってたな…しんどくなかっただろうか。

なにぶん、鹿児島のさらに田舎の方なので…というのが免罪符になるとは思っていないが、なんにせよ皆に負担が大きい家であった。

それをようやく取り壊したのだという。最初にその話を聞いた時はびっくりした。大体そういう話は我が家は何の前触れもなく行うのが慣例となっている。ある日LINEに「祖父母の前の家、壊すことになったから!」と母から送られてきた。「えっ、いつ?」「明後日から!」この感じなのである。スピード感というか直前まで伏せているというか、そういうのが是となる家族なのだ。このことはいずれ別のところで書きたい。

もっとも、遠く離れているわたしが反対する義理も何もないので「怪我だけは注意して」と返した。業者が作業するとはいえ、陣中指揮をとりたがる父親のことだから、きっと前線に出て行くだろうし。もう七十を過ぎてるんだから。それに日差しがもう夏に近いので、熱中症だけはどうかならないでほしい。そんなことを返したように思う。

それから何日か経って「今日できれいになりました」と更地になった前の家の跡地写真が送られて来た。本当に無くなったんだなとしみじみ思った。綺麗さっぱりという言葉がふさわしいくらい、基礎部分すらなくてまっさらな地面だった。跡地を何かに使うのかは分からないが、土を入れてちょっとした畑にするのかもしれない。ただ、そうしても海のすぐそばだから育ちが悪い可能性が高いのだが…どうするんだろうか。

このあたりはまた追々聞いておこう。

こうやって、知っている土地や建物が変わっていくのを知るとショックが大きい。それに「ついに来たか!」みたいな、そういう感覚もある。おそらく次は新しい方の家もどうにかしなければならなくなるし、もっというと、あと20年以内には今の実家もどうかしないといけないだろう。新しい家の方にはわたしや弟の家を出る前に使っていた勉強机や本、それに趣味のモノたちが納まっている。そのうち「片付けに帰って来い」というLINEが来るだろう。そうなると「さらにいよいよ」、と身構えたくなる。

実際問題、両親が何歳まで生きるか、それはどこで暮らすのかということも含めて考える必要性がぼちぼち見えてきたことになる。わたし自身の暮らしすら安定していないというのに、遠く離れた両親の暮らしも考えなければとなるとそれなりにしんどい。それに、当地を離れたわたしが言うのもどうかと思うが、これからどんどん人が減っていく地域で、家や畑すら無くなっていく、地域がまっさらにになってしまうのでは。道路沿いにあった家々が少なくなる中でどうなってしまうのか。

今年の9月には一度帰ろうと考えている。地域がどうなっているか、周辺の家々がどうなっているかちゃんと見てこようと思う。