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写真撮って、日記書いてます。

趣味を仕事にできるかも、と言われても

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iPhone8 Plus

341日目。仕事の日。

朝の情報番組の星占いで「趣味を仕事にできるかも」というのが出たが、妻から「今の仕事って、まさにそうじゃないの?」などと言われる。

おいおい、確かに好きなことの延長線が仕事になってはいる部分もあるけど、仕事となると話がちょっと違ってくるぞ。その分かっちりとしたものを作らなければならないわけで、それをどうにかこうにかしているのが今の状況なので…まあでも、好きでなかったら今まで続けては来られなかったと思う。

なんせ収入がアレなので。

やりがい搾取とまでは言わないが、「このくらいの額でいいだろ」感が漂う扱いであるのは確かだ。同業者で集まって話題に上がるのもいつもこれだし、正規雇用を増やせ!っていう動きをしてもそこで止まってて、相変わらず会計年度単位での仕事ばかり求人が出る。建物は作るけど、それ以降の運営とかを考えてないところが多いし、予算も減るから余計に厳しい。なのに辞めてない、路線変更してないのは単に今の仕事が好きだからなんだろう。今の場所はこれまでと勝手が大きく違うからやる気自体が空回りしていてあんまり面白くない部分もあるんだけど。

で、そういうなかで、また出てきた「趣味を仕事にできるかも」という話なのだが、はてさてどういうことだろうか。

趣味はなんですか?と履歴書にも自己紹介でも散々書いたり発表したりとしてきたが、無難に読書…というのは嘘になる。そうだなあ、写真撮ったり写真展見たり写真集買い集めて読んだり、そんなことかな。展覧会は昔はよく行ってたけど、コロナ体制下になってからはほとんど行けてない。撮るのも最近はiPhoneばっかりなので、またカメラ持ち出したいと思っている。

そのほかの趣味だと、ガンプラ組み立てたりミニ四駆作って走らせたり、基本的にインドア系が中心で、時々変化球として焚き火があるくらい。

そう、キャンプとかじゃなくて焚き火。子供の頃は祖父母の家の近くの浜辺で流木を焚き火していた。祖父母の家のお風呂は五右衛門風呂でガス焚きではなくこれも薪に火をつけて温めるものだった。それに年末の蕎麦打ちに餅つきの際も大きな移動式竈門を使うのが恒例で、子供は火焚き当番をする役割だったから、結局焚き火と似たようなものをずっとやっていた。太い薪に火を移すコツとか、そういうのはそんなところで覚えたように思う。焚き火しながらぼーっと考えごとしたり、時より様子を見にくる近所の人や祖母と話したり、そんなことを良くしていたな。

父親は焚き火のやり方を教えたら割と子供をほったらかしにして、時々見にくる程度だった。変に扱わなければ火事にはならない、そのかわりちゃんと見といて目を離すなよ、という教えだったように思う。

最近アニメの「ゆるキャン△」を見ていて、ひとりキャンプとか焚き火とか、そういうものに対する憧れみたいなものがまた再び沸き上がりつつある。「無理をしない」、つまり可燃物が多そうな場所で無理にやらないとか、風が強い日にやらないとか、天候悪い日に出かけてまでやらないとか、とにかくそういうルールでやれないかな、なんてことを考えている。

あとは…ゲームするとかこのブログ書くこととかな。日記の体裁がほぼほぼ意味がない、ただのでかいチラシの裏になってきてはいるけど。単に文章を書くのが好きなだけである。感覚的には「Web2.0の残滓」。残りかす。あの頃はよかったとまでは言わないけど、試行錯誤しながらの日記サイトがずらずら出てきていた、あの感覚がいまだに残っている。掘り下げた記事を書いた方が検索に引っ掛かりやすいしアクセス数稼ぎやすいのにね。

いやいや、そういうものじゃないから。

「趣味ってえのはよ」唐突に、大学時代の先生の言葉が脳裏をよぎる。「趣味ってえのはよ、本を1冊書けるくらいの深みがねえと言えねえんだ」。要は、それくらい掘り下げてみろ、という話だったのかもしれないが、当時はそういうこともわからずに「はあ、そうですか…」なんて曖昧な返しをしてしまった。さわりで満足してはいけないのだろう。とすれば、写真に対して焚き火に対して、ミニ四駆に対してもう少しどっぷりと浸かってみるべきか。何が仕事に繋がるかわからないしな。

その前に、星占い信じてる時点でちょっとアレなのかもしれないけど。