GXR + GR LENS A12 28mm F2.5
これの続きかも。
番組の中でソール爺がニコニコしながらカメラを構えてニューヨークの街を撮影している姿が印象的だった。日本だと例のX100Ⅴの件もあってスナップできる環境自体が少なくなってきたけどなあ、なんてことも思いつつ。
ただまあ、その時ソール爺が撮影していた写真もこの時代に大丈夫なのかって思うようなモノだったけれど。
彼が撮影していた場所を地図上で表したらほんとに1ブロック程度の範囲でしかなくて、『角の煙草屋までの旅』(須田一政)じゃないけど、わざわざ遠出しなくても「撮り方のセオリーを作ってしまえば何でも撮れる」ことを体現したらああいう写真が出来上がるのかと。自分の中にセオリーというか、撮り方を作ることの重要性を改めて感じた。一朝一夕でできるものでないのだろうとも。
だから番組内で「ソールライター風として写真を撮ることがSNSで話題」とか、写真家の方が東京の街をそれっぽく撮影していたけどやっぱり違うわけで。あの若い俳優氏がびしっと一言でそれを言い当ててたのがすごかった。「~風」は風であってそのものではないのだ。
それからソール・ライターの生き方に共感するという人たちも出てきているらしい。
トップで活躍するのではなく、むしろ家族や自分のことを大事にしているとかいう部分に共感するんだとか。それはそれでいいかもしれないけど、ある種の逃げになっていないかとも思う。そもそもソール・ライター、撮影した写真が一流紙で掲載されているし、一流の写真家たちとの交流もあって、単純に表舞台から離れて云々とも言い切れないわけで。そういう背景を見ずに「トップで活躍するのではなく、家族を大事にした」云々というのはなんかちょっと違うんじゃないの?と思ってしまう。
Wikipedia見てたらユージン・スミスに勧められて写真を撮るようになったとあった。この辺の写真家同士のつながりを見ていくのも面白いかもしれない。
もしかしたら日本でも同じように、何かしらの理由で表舞台から姿を消してずーっと自分の作品を醸成していった写真家もきっとまだまだいるような気がしている。そういう方の写真にも出会いたいと思う。古書市とかそういうのでぽーんと出てこないだろうか。
飯沢耕太郎氏が最後の最後で「でもやっぱり写真がいいんだ」と言っていたのだが、確かにその通りで、1枚1枚がかっこいい。京都で開催される展覧会も、改めて期待している。