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写真撮って、日記書いてます。

10年後はどこで何をしているだろうか

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GXR + RICOH LENS P10 28-300mm F3.5-5.6VC

409日目。休日の日。

最近、岩合光昭氏の写真集『パンタナール』を読んでいる。

PANTANAL パンタナール

PANTANAL パンタナール

  • 作者:岩合光昭
  • 発売日: 2020/05/26
  • メディア: 大型本
 

岩合さん、すげー動物写真家なんだけど、近年だと「カワイイねえ、いい子だねえ」なんてネコに声かける人になってるからそっちの印象が強いかもしれない。ネコもジャガーも動物であるから撮影するのは同じなのかなとか、でも人間との距離感はそれぞれ違うのかなとか、読みながらそんなことを考えている。

劇場版 岩合光昭の世界ネコ歩き あるがままに、水と大地のネコ家族

昔から、こうやって異国の地の動物だとか植物、そこで暮らす人々の様子を写真とか文章で読むのが好きだった。椎名誠のモンゴル話とか、アルゼンチン海軍の軍艦に乗って冒険した話とか。最近だと石川直樹の登山の話とか、そういうの。

五つの旅の物語

五つの旅の物語

  • 作者:椎名 誠
  • 発売日: 2010/02/18
  • メディア: 単行本
 

んで読後に「でも自分じゃ行けないよなそういうところに」なんて。若いころからどこか線引きしている自分がいるのを感じていて、「行って見てみたい」けど「自分じゃまず無理だ」ってすぐなってしまう。無理だと思う理由は、お金が無い、言葉が通じない、時間も無い、今ある暮らしを放り出せない、行き方が分からない…そんな理由。体が悪いとかそういうのではないのだ。ほんとに行きたかったら潰していけるような理由でもある。

要するに、どこか冷めてるのだろう。

「ここではない、どこか」に行きたい的な願望はあるのだが、どこにも行けない、いや、どこにも行かない自分がいるということも分かっている。口先だけで、行動力は無い。

こないだ誕生日というのを迎えてしまった。この年齢になると不思議と「あの時ああしておけば」「こうしておけば」みたいな振り返りが頻発してしまうのだが、わたしだけだろうか。40手前、40になると不惑とかいう話だが、残り3年間は迷いっぱなしになるのだろうか。而立できてるかどうかも怪しいというのに。

それはともかく。

20代のころ、フィールドワークを中心にした暮らしをしていた時期があって、そのころのことはこの日記にも書いてあると思うのだが、なにぶん10年近く前の話なのでちょっと簡単に見つけられそうもない。その当時は野宿とかもやってたし、その場所へしばらく滞在して、ていうのを繰り返していた。ただ、自分の「課題解決」のためではなかった。スタンスはいつも「いやあ、これわたしの疑問とかじゃないんですよ~頼まれたからなんですよ~」。ある意味責任逃れなものを抱えながらだった。あの時もう少し踏み込んで自分のものにしておけば、今はまた違った暮らしをしていたのかもしれない。結婚もしてないだろうし。フィールド三昧で過ごしていたのかな。今となってはもう仮定の話でしかないのだが、時々そういうことは考える。この10年20年、自分は何してきたんだろうって。あんまりそういうの考えたくはないんだけど、やっぱりふらふらと考えてしまう。

これからの10年の間で、また違ったところに行くのだろうか。それともとどまり続けるのだろうか。自分でもわからない。不安だし、それが楽しいとも言える。そんな気がしている。