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写真撮って、日記書いてます。

いっぺん、教科書的なものを作った方がいいのかもしれない

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567日目。仕事の日。

レジュメを作りながら自分自身の知識の再確認みたいなことをしている今日この頃。これが結構楽しい。仕事しながら習得した部分が本当に適切なのかどうか、その辺のことも確認できる。

むしろ現場の知識の方といわゆる教科書的なものとの乖離が大きくあってどちらを優先するのがいいか迷うことすらある。そういう場合はだいたい現場で得た知識の方が最新だったり、過去の人間たちの英智の結集的な部分があってそちらを利用するわけだけど、なぜ現場レベルの知識が教科書的なものに吸い上げられていかないのか分からなかった。最近ようやく「教科書のように一般化することが難しい」ことが何となくだけど分かってきた。じゃあ教科書って何なんだろうか。うーん…教科書があるけどないような世界での仕事について説明するのはなかなか難しい。

もたもたしていたらあっという間にお弁当を作る時間がやってきた。今日はどういう内容にしようか、台所に立つ度に毎回悩む。一週間ごとの献立を作っておいた方がいいかもしれないが、食材と自分のスキルとの兼ね合いで大きく変わるからそうガチガチに決めてしまうのもかえって作りづらいかもしれない。ご飯敷き詰めて上に目玉焼きと冷食の唐揚げとブロッコリーの和え物を入れるだけでも十分か。見てくれは良くないし、お弁当感は失われるけど。

このお弁当生活も早いもので3年目になった。3年も経てばそれなりにできるようになる、と思うかもしれない。むしろ逆だ。自分しか食べないお弁当だから思いっきり手抜きをするワケである。すると料理のスキルとか関係なく、載っけただけ弁当とか詰めただけ弁当とかそういうのができあがる。

藤井弁当 お弁当はワンパターンでいい!

教科書的な本はちまたに溢れているし、あんな感じで作れたらいいなと思うこともあるが、結局食べるのは自分なのである。あんまり凝ってなくても、というか、食べられればいいやって気持ちの方が大きいから、次第次第に手を抜いてしまって、という流れになっている。あんまり良くない気もするが、そんなこと考えている暇があったらさっさと作った方が…ていうのが良くないんだろうな。

これもいっぺん「オーソドックスな」「教科書的な」ものを作った方がいいのかもしれない。そのうえで「やっぱできねえな」てなるのか「これならまだ作り続けられそう」となるか、だ。

もっとも、それに取り組む時間があるかどうか、ていう話ではあるが。まあ、やれるだけやってみようかと思う。


今日も今日でコミュニケーション必須の業務が多すぎて時々しんどくなる。昨日は昨日であちこち歩いたし、変なところで疲れが溜まっているのかもしれない。それはいつものことか。

とりあえず、見たい映画とかをリスト化してみよう。それだけでも気が紛れるかもしれない。週末くらいは静かに過ごしたいが果たして。