Archetype++

写真撮って、日記書いてます。

これ、いる?

f:id:swordfish-002:20220112185831j:image

iPhone8 Plus

649日目。休日の日。

こないだから書き続けている原稿なんだけど、追加と削除を続けてつぎはぎだらけになっている。

swordfish-002.hatenablog.com

こういう時はかなり危険だ。その日のテンションによって書いてある場所のテンションが大きく異なるし、昨日書いたことと一昨日書いたこと、そしてそれを踏まえて今日書くことが全然違った形で追加/削除されていくため、あとあと読み返して「これ、いる?」と思う場所がやたらとできてくる。しかも毎日続くのだ。一応筋が通るように書く前にある程度読み直してから書くが、それによって「ん?」「あれ?」と思うことが多々出てきてしまうのである。

前日真面目に書いた文章を、翌日「これ、いる?」と読み直してバッサリとカットし、そこに別のことを上書きしていく。その翌日も同じところで「これ、いる?」となるし、他の箇所でも起きていて、結局タイトルすら変わってしまうことも多い。

例えばこうだ。

昨日『カラビニエ』というゴダールの映画について少々触れる文章を書いた。大まかなあらすじと、問題点はそこでなく「世界」は何かという話を写真論とかそういうのにさらりと触れながら書いたのだ。書いたのだ。

カラビニエ Blu-ray

カラビニエ Blu-ray

  • マリノ・マッセ
Amazon

しかし翌日(つまり今日)改めて読んだら、全体の中の一部分とはいえ全体に対して影響もないし、むしろこれがあるから冗長に感じるように思えてきた。第一、自分が読んでいてつまらなかった。内容もどこかの誰かが評論したものと似た気がしてきて、だんだん「これ、いる?」「これ、消さない?」とすら思っている自分がいる。

「創業時から継ぎ足されたタレとかスープ」と似たようなもので、それって結局ほぼ入れ替わってますと同じ意味なのだが、同じようなことが原稿で起きている。書き始めたときと書きあがった時の構想が全く違うのである。

その場の成り行きで原稿を書くからそうなる。

卒論を書いた時からそうだったけど、原稿書くならちゃんと頭から段階を踏んで、ていうようにしないと、ところどころちぐはぐになりかねない。というか徐々になっているのでどこかの時点で全体修正をかけて頭から読み直したいが、しかしそれはもう当初に「こんなこと書こうかな~」と考えていたものと違うものが出来上がってくるだろう。ほぼ毎回、書いたけど不完全燃焼を感じるのはそこに原因がありそう。あの表現はもう少し何とかならなかったか、削れる文字は、言い換えできるところは、考え出したら切りがないが、そこまできちんと考えて文章を作ることがここ数年の間にあっただろうか。だいぶ反省しなくてはならない。

よくわかる卒論の書き方[第2版] (やわらかアカデミズム・〈わかる〉シリーズ)

物書きして飯を食っている人間ではない、あくまでも趣味と少しばかり仕事に関わってくるのとで書いている人間だ。しかしそれでも公表する文章として作ることもあるため(この日記以外に)、かっちりしたものを作る必要がある。であればなおさら考え抜くことが大事なワケか。それに推敲スキル、そういや育ってなかった。今から鍛えられるだろうか。

ブレないこと、きちんと最後まで書くこと、書き抜くこと。やっぱり難しいわ。難しいからこそ続けてるんだろうな。自分は。