これ読んだらなんかちょっとしんみりとした気持ちになってしまった。
あれだけとんがった文章、と言っていいかどうかわからんが、少なくとも昔の文章は何かこう、インパクトがあったと思う、おもしろかった、そんな文章を書く作家さんだったのに。
特に結婚式の話。これは別にここに書かなくても昔から同じようなことをいろんなところで書いている。よっぽどネタがなかったのか、それとも何かの結婚式に参加されて、よりそういうことを考えたのかはわからないけれども、同じネタをいくつものエッセイでちょこちょこと出してくるのは流石にちょっとね。
いや、彼はきっとよっぽど結婚式に対して肉シミにも似た感情を抱いているのだ。だからこそ引っ張り続けるのだ(とまぁわけのわからないことをぐだぐだと述べてしまうわけで。)
さらにしんみりしてしまったのは、友人たちの死についてが書かれているところだ。60を過ぎてまだまだこれからだと思うのだが、やはり著者もその年齢をひしひしと感じているのかもしれない。それでもいろんなところへと出かけていくそのバイタリティってすげーなぁと思う。言っちゃ悪いかもしれないが、「旅に追われている」ような印象を抱いてしまう。そろそろもっとゆっくりと旅をしてもいいじゃないか-でもこれがシーナさんにはあってるんだろうな。すげーよ、ほんと。
高校の時に友人が貸してくれた、いや、それよりも前、確か小学校の時に教科書にあったエッセイがシーナ作品との出会いだったわけだが、その頃と比べるとやはり少々パワーダウンしている感じは否めない。どこか丸くなっている気がしてならない。シーナさんにはこれからもとんがった文章を書き続けて欲しいんだけど。いや、逆に丸くなったからこその味というものがあるのかもしれない。そしてそれはある意味、彼のように年を重ねないとわからないのかもしれない。尻の青いガキである私にはまだその味というものがよくわからないが、いつかそういう”丸さ”に味が読み取れるような大人になりたいと思う。
えーっとなんの話だっけ?要するに「ただのねこぜと思うなよ」なんて粋がっている今も、いつか「あの頃は青かったなあ」なんて思う日が来るわけで。そういう時にちゃんと向き合えるような大人になろう、なんてことをムロアジに悶絶する話を読んだりカンボジアでの旅の様子の話を読んだり運転免許再発行の不思議な仕組みの話を読んだり…と読みながら思ったのでした。