荒木経惟:『写真ノ説明』 を読んだ
2時間程度で読了。半分がインタビュー形式(書き方はモノローグだけど)の本文、半分が写真。
「写真ノ説明」と題しているけど、作品の解説ではなくて写真論みたいな内容。いや、写真論というよりも人生論みたいな。本人も人生論だ、って言いきっちゃってるし。
気になった場所は…
それから言うまでもないけど、「写真ノ説明」と「説明的な写真」てのはまるで違うよ。
説明的な写真ていうのはダメ。見る人にイメージや解釈を押し付けてるようなものは、文学だろうが映画だろうが、受け手の想像力を奪っちゃうもの(「はじめに」p5 より)。
本書の内容を端的に表した部分だ。いかに写真を見る側にイメージさせる写真を撮るか。
そんで、これはチロちゃんの影(本書39ページ)。今、写真やってる人たちは影を撮ってないよな、影が写ってない。影が主役なんだよ。影の方が本当、影の中に真実ってと変だけどさ、そういうことがあるかもしれないよ。人は親父の背中じゃなくて、影を見て生きなきゃだめだっていう。これ、人生論まで語っちゃうぞ、新書だし(笑)(「第一章 「死」と「再生」p19 より」)
チロ=飼い猫で、彼女の最期までの写真集もある。
(中略)物事は何でも曖昧なわけよ。どうせ、分からないんだもん。
分からないから、それで通す。そのまんまでいい。真実だか、嘘だかも曖昧。虚実処女膜論。きっと混ざってるもんだろうなとか、漠然としたものだから。確定はできない。それはだれもできないと思うんだけど。
だから写真は、俺が撮ったものは、その人によって違うように見えていいわけ。あっ、撮ってる女みんなとやってるのかと思ってくれてもいいし(笑)、あっ、絶対この子が本命だとかさ(笑)。たとえばね、そういうような見方でもいいわけ。その人の教養や程度に合わせた見方でいい(笑)
そういう隙間っていうのかな、つくってるの。どんな写真でも、見る人の思いとかなんとかが入り込めるようにしてあるの。(「第三章 写真と「嘘」」p68より)
写真は真実を写すんじゃなくて、そのものが嘘かもしれない。目の前に出された写真の真正性を証明できるのは撮影者か被写体くらいで、両者がグルだったら途端に真実なんてものは怪しくなってしまう。そう考えると結構危ういメディアだったりする。
まあここら辺は名取洋之助の「写真の読みかた」をまた読んで考えたい。
いやーしかし「どんな写真でも、見る人の思いとかなんとかが入り込めるようにしてあるの」ってことなかなかできないと思う。だいたいどっか説明的な写真になりがちだし。その隙間を作るのって、どうやったらできるんだろうか。見る人を誘導するようなストーリーの写真はまぁできるかもしれないが、見る人が自由に発想できる写真か…。
そもそも、本書の荒木の発言自体、どこまで本当でどこまで嘘なのか見当がつかない。真面目な話をしているかと思いきやすぐにエロ話が入ってくる。人を食ったような印象とはこのことをいうのだろうか。読んでいてすごくぬめっとした感覚に陥る。面白いんだけど、次の瞬間ばっさりやられてしまいそうな変な緊張感がある(しかも後ろからではなく前から切り込まれてしまうような感じ)。森山大道が荒木のことを「目が笑ってないんだよ」なんて言ってるけど、たぶんこれなんだろうと思う。
あ、巻末には特別付録で「フォトライブ・ドキュメント「人妻エロス」」と「写真の「仕掛け」」という二節がついている。前者は『週刊大衆』で連載されている「人妻エロス」の撮影現場の様子をそのまま(?)文字おこし。後者は撮った写真をいかに見てもらうか、荒木たち自身がやった方法を少し紹介している。
だけど逆に今、こういうスマホだとかデジタルの時代はかえって、この頃(引用者駐:70年代半ば頃)の写真の撮り方や見せ方ってのが参考になって、面白いんじゃないかな。
今はデジタルで見せたり発信できるから、写真集だって必要ないみたいに勘違いしているかもしれないけど、やっぱり印刷されたものは違うだろ?ページの流れとか、匂いとか、重さとか。そういうのが、例えば写真の見せ方で言うと、かなり面白いことをいろいろやってたんだよ。昔は電話ボックスの時代だから、写真展を電話ボックスでやったりして。(中略)
今だっていろいろできるはずなのに。今の人のテキストになるだろ?今みたいにデジタルになったから、方法論をね、思いつかないんだよ。ネットがあるから、算盤やってるやつが計算機使うのと、計算機しか使えないやつが計算機使うのじゃ、やっぱり違うんだよ。(「特別付録2 写真の「仕掛け」」p203-205より)
この時代の怪しい雰囲気、好きだなぁ。写真史的にもなかなか熱かった時代じゃなかっただろうか。そして今できる写真の見せ方・撮り方って何があるだろう/できるだろうか。この辺も少しずつ考えていきたいところ。
なんでかわかんないけど、読んだあと元気になるし、不思議と写真撮りに行きたくなる本だった。