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写真撮って、日記書いてます。

「一緒に〇〇しようね」の罠

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1278日目。仕事の日。

一緒に作業しましょうね、という話が反故にされてどうやらわたしひとりで対応しなくてはならなくなってしまった。大した作業量ではないと思うのだが、それでもここに来てそういう展開かよ…とガックリした。

いや、あれだけ強く言ってたのに、当日になって「ちょっとできなくなった、行けなくなった」みたいなことになってて逆になんだそれ、と拍子抜けしてしまった。

いやまあ、その可能性もあるかなと少しばかり思っていたけどそういうことする相手でもなかったので、信頼していた分、「はあ…」と変なため息が出た。

昔から、この手の「一緒に〇〇しようね」ほど怪しい言葉はないだろう。罠だ、罠。

古くは体育祭や持久走大会(マラソン大会)の「一緒に走ろうね」、テストの「一緒にゼロ勉でテスト受けようね」、下校時の「一緒に帰ろうね」などなど…。

一緒に走ろうと言っていたヤツほど先に行くし、ゼロ勉で受けようぜというヤツほど勉強してるし、一緒に帰ろうというヤツは大体その約束を忘れて違う友達と野球かサッカーしてる。一緒に暮らしたいねといっていた相手は…やめようそういうのは。

とにかくこの「一緒に〇〇しようね」は大体ロクなことにならない。

だったらひとりで責任持ってやった方がいいのだが、しかしその姿勢を見せると「協調性のないヤツ」と評価されるから余計ややこしい。

そんなわけで、わたしの中ではこのワードを使う人とは距離を置くという対応が染み付いているのだが、しかし社会人でそういうこともままならない部分もあるので、今回はまあ仕方ないなと受け入れてみたらこの扱いだわ。

あーなんていうか、「被害に遭う側」ではないけど、「結局ひとりにされる側」なのは昔から一緒か。だからと言って「ひとりにする側」になりたいかと言われたら、なりたくないわけで。

ただ、そうやって放置する、責任を放り出していくという姿とか、そういうのは羨ましいなと思う。

人に対して優しすぎる、と昔から言われていて、学生時代なんかそれで説教されたような記憶がある。

でもなあ、無理なんだよ「ひとりにする側」を切ってしまうのは。なんか相手に悪いように思えてしまうところがあって、多分まあそういうところを利用される(という言葉が正しいか微妙だけど)んだろう。「こいつなら別に何してもいい、踏み台にしてもいい」みたいな。いやまあ、そこまでしっかり考えてやってる人に出会ったことはないけど、皆そういう無意識的なところで考えてやってるのかもな。

面と向かって聞けないからなんとも。

そういうことを他の人に相談するとおそらく「徐々にフェードアウトした方がいいよ」と言われるのは分かっている。分かっているけど、でも仕事とかで顔を突き合わす機会があるからそういうのできないんだよ。

多分、似たり寄ったりな悩みを抱えてる人も多いと思う。みんなどうしてんだろな、そういう時って。

まあいいや。美味しいものでも食べて元気出すか。

何かしらいいことがきっとあるでしょ。そうでも思ってないとやってらんないわ。