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写真撮って、日記書いてます。

自分の中に言葉がない

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iPhone8 Plus

579日目。仕事の日。

こないだから「無機質に撮る」ことをずっと考えている。わたしが撮りたかったのは無機質さといえばいいのか、コンクリートだの建築物だのそういうのもそうなんだけど、ソリッドな感じで撮ることなんじゃないか。

ああ人に伝えるのって難しいわ。

とにかくペラッとした感じの。ボケがどうのこうの言ってる場合では無い。むしろ奥も手前も同じようにピントが来てるような感じがいい。全体的にフラット感があるようなイメージ。手前から奥まで同じようなピントの深さ的な。

マイクロフォーサーズにいくか。被写界深度深いし。

ただ、こういうのも何となく誰かが通った後の道をなぞるだけになりそうだし、それこそ同じように考えて写真を撮っている人も少なくないだろう。たぶん多いはず。インスタ映えするテーマでもあるから余計に。

でも、改めて考えると「無機質に撮る」ってどういうことなんだろう。「無機質を撮る」「無機質らしく撮る」とは違う気がする。感覚的でしか話せないのがもどかしい。自分の中に言葉がない。自分で言い出しておきながらである。まああるある話だ。そうだなあ、感情をとりあえず置いといて、まっすぐ撮るみたいな感じだろうか。あまりに感覚的な言葉を出してしまったせいで自分自身が取り残されている。

早朝から起き出してごそごそしながら写真集や写真史で同じようなことをやっていた人いなかったかなと調べてみるも、いまいちたどり着けず。検索ワードを変えて調べてみるか。手持ちの書籍にも作家名と具体的な作品なんかは出ているけど、それ以外の特徴とかはあんまり掲載されていなかった。そういうものだろう。朝食とお弁当を作るまでの間のちょっとしか無い時間では調べきれなかった。腰を据えて調べなきゃ。


仕事で、写真の歴史について喋ること、しかもそれを動画として録画することをやっていた。まさか動画になるとは思わなかった。自分自身の声があんまり好きではないし、顔もあんまり見たくないので困惑でしかない。しかも収録場所が何故かトイレの横の部屋である。掃除の時間と重なってしまったのか物音がすごく響いて収録どころではなかったし、再開したらしたでカミカミになるし再撮影を、と取り掛かった瞬間にまた物音が隣からしてくるという、堂々巡りの状態が1時間ほどあって嫌になる。

結局全部収録終えたのはスタートしてから3時間後。これに加えて編集作業が待っている。1時間ちょっとの内容を何時間かけて切り貼りすればいいのだ…考えただけでも頭が重い。これをほぼ決められた時間にやっているYouTuberはすげえなって改めて感心するよ(2回目)。ちゃんとした収録場所と機材があれば、隔週とか1か月に1回とか、低頻度での更新はできるかもしれないけど毎日はわたしには無理だ。大変すぎる。

 

そんなこともあって、結局「無機質に撮る」についてまとまらなかった。また勉強していかなくては。あと中古でマイクロフォーサーズのカメラ買おうかな。そういうことはすぐに考え付くんだが…やっていくうちに何かしらたどり着けるだろうか。たどり着く場所があるだろうか。