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写真撮って、日記書いてます。

やっぱり行けない

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iPhone8 Plus

1329日目。仕事の日。

午前中がちょっとだけ開いたので、ちょっとヨドバシカメラにでも立ち寄ってから行くかと思っていたんだけど、気づいたらいつも通りのルートでいつも通り職場に向かっていた自分がいた。

そういう寄り道とか、何かできないんだよね。

以前も書いたけど、ひとつ先のバス停まで行くとか、ちょっと違う道で行ってみるとか、美術館に立ち寄ってから行くとか、そういうのができない。真面目に(?)職場に向かうというか、「取りあえずまた今度ね」という感じでついつい先延ばしではないけど、行くこと自体をエスケープしてしまう。

真面目なのか何なのか。こういうのはいずれ自分に良くない方向で返ってきそうであまりいい気はしない。自分で言うのもなんだけど、もうちょっとフレキシブルに動けたらいいのに。「そうだ、ちょっとギャラリー寄ってから行こう」となれたら良いのに。そういうことができる人がこれまで多かったし、見てきたので自分もしたいなあと思って早何十年、という形だ。

何十年分の習慣とかそういうのはそう簡単に変えられそうにない。

もっとも、そうやって寄り道してくる人たちの仕事を多少なり引き受けていた部分もあって、今思い返せばもしかしたら便利なように使われていただけだったんじゃないかって。そう思えてしまう。特に人数が少なければどこかしらにそのシワ寄せが行くわけで。わたしなんかもそういうのがどんどん来ていたのかもしれない。んで、寄り道せずに職場に来て、寄り道せずに家に帰って。

ああでも、まだひとり暮らしの時は帰りに海見に行ったりしてたから多少なりとも寄り道みたいなのはできていたのか。何をするわけでも無くただぼーっと海を眺めてるだけだったけど。あと写真撮ったりとかそういうのやっていた。今はそうしたくてもできない。なんせ家まで1時間30分かかる。映画が1本見られるくらいだから、こうなったらiPadで映画見てやろう!とずーっと思っているし書いているけど、そういうのもできていない。「やっぱり」と付けたくないけど、出費が必要なものとかこれまでの暮らしに変化を加えるのって躊躇してしまうよね。

変化に繋がれば一番良いんだけど。そうじゃなかったとき、というのをどこかで考えているのかもしれない。ああ、これが年を取るということなんだろうな。新しいことができにくくなるとか、これまでの決まった通りのことから逸脱できなくなるとか、そんなの。いったいいつからそうなってしまったのか。30代になってからとかかなあ。確かに海見に行けてたのは20代の終わりらへんだったけど。関係ありそうで無さそう。でもどこかで自分の中で考えが変わったんだろうなと思う。

いや、元々かもしれないな。自分でもよく分からなくなってきたわ。

なので帰りにどこか寄って帰ろう、今日こそは寄り道するんだと思っていたら思いの外仕事が詰まってしまって結局どこにも行けないまま帰路に着いた。

なんだかなあ。人が決意した日に限ってなあ。